ここから本文です。
2022年06月30日 建設局, (公財)東京動物園協会
戦時中の猛獣処分によりゾウのいなくなった恩賜上野動物園に、昭和24年、「はな子」と「インディラ」という2頭のアジアゾウが贈られました。このニュースは戦後の日本に明るい希望をもたらし、恩賜上野動物園は、平和の象徴であるゾウを日本中の子どもたちに見せるため、移動動物園を計画して各地を回りました。この特設展ではゾウと移動動物園の歴史を振り返り、当時の子どもたちの思いを紹介します。
展示は移動動物園の最後の訪問地である伊豆大島からスタートし、移動動物園と関わりのある井の頭自然文化園、恩賜上野動物園を順に巡ります。
戦後の移動動物園をテーマにしたこの特設展が、私たちにとって平和とは何か、動物園とは何かを考えるきっかけとなることを願います。
下の写真は、伊豆大島の島娘・あんこ姿の女の人が、ちいさなゾウ(はな子)の背中に乗っている様子です。
「あんこ」とは、年上の女性に対して敬いと親しみを込めて、名前の後に付けて呼ぶ言葉でした。「姉っこ」がなまって「あんこ」になったと言われています。大島独特の女性の風俗であるあんこ衣装は、もともと島で生活する女性の合理的な労働着でした。伊豆大島では、子どもたちとともに、たくさんのあんこさんも、はな子を歓迎しました。
日本にインディラを送ったインドのネール首相が「賢く、しんぼう強く、力がありしかも優しい」と称賛したゾウの気質とあんこさんには、どこか共通点があるような気がします。
動物園の人気者であるゾウを通して、私たちにとって平和とは何かを考えていただけるように、特設展のタイトルを「あんこさんとゾウ」に決めました。
はな子に乗るあんこさん
戦時中の上野動物園での猛獣処分から、戦後の移動動物園、現在のゾウの保全活動や動物園からのメッセージまでを、8章構成でパネルや映像などでお伝えします。
上野動物園は戦時中の猛獣処分により多くの動物を失いましたが、戦後、精力的な復興を果たしました。
ゾウを見たい子どもたちによるさまざまな運動が実り、上野動物園にインディラとはな子という2頭のゾウが贈られました。
恩賜上野動物園でのインディラ(右)とはな子(左)
たくさんの子どもたちにゾウを見せるため、移動動物園が計画されました。インディラは東日本と北海道の合計3,500キロメートルに及ぶ大移動動物園に、はな子は都下移動動物園として多摩地区を回りました。
移動動物園の記録映画
町のなかを歩いて移動動物園会場に向かうインディラ
はな子の都下移動動物園の最後の仕上げとして、伊豆大島にも遠征しました。はな子が出発した日の飼育日誌や新聞記事、会場の様子、はな子来島時に読まれた俳句などの小さな記録の断片と、島民の方々の思い出話を集めて当時を振り返るとともに、はな子が乗せた「あんこさん」の魅力に迫ります。
はな子が出発した日の象飼育日誌
あんこ姿の女性
移動動物園が開催された当時の三原山は、噴火の真っ最中でした。その頃の三原山の様子や噴火を楽しんだ島民の声を紹介します。
昭和25~26年の噴火で溶岩に覆われた三原山
移動動物園後、7歳で井の頭自然文化園へ引っ越し、2016年に69歳で死亡するまでのはな子の生涯を年表とともに紹介します。
晩年のはな子
はな子の死亡前と後の日本の動物園のアジアゾウ飼育の変遷について紹介します。
「ZOO IS THE PEACE」。平和のないところに動物園はないと語った上野動物園の初代園長・古賀忠道が残した言葉です。各都立動物園の現在の園長から寄せられた、動物園と平和についてのメッセージをお伝えします。
公益財団法人東京動物園協会
伊豆大島ジオパーク推進委員会
東京都大島支庁
来場者の方々へお知らせです。夏の電力ひっ迫を受け、本行事は、皆様の安全に配慮しながら、節電して実施する予定です。暑い夏を迎えました。ご家庭ではエアコンは切らずに熱中症に注意して節電に取り組みましょう。電力を「へらす」「つくる」「ためる」HTTに、ご理解、ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
問い合わせ先 (公財)東京動物園協会総務部教育普及センター 電話 03-3822-0806 建設局公園緑地部管理課 電話 03-5320-5365 |
Copyright (C) 2000~ Tokyo Metropolitan Government. All Rights Reserved.